
「家族」は、「国家」とは対極にも見える私的で親密な共同体だ。しかし、公認心理師の信田さよ子さんは「国家の暴力である戦争と、家族の暴力であるDV(ドメスティックバイオレンス)や虐待は深いところでつながっている」と指摘する。現代のカウンセリング現場で垣間見える「戦争」とは?【聞き手・小国綾子】
激しい暴力振るう、復員兵だった父親
――この半世紀、カウンセリング現場で戦争の爪痕を感じることはありましたか。
私は、虐待やDVなど家族内の暴力は、戦争と深いところでつながっていると、ずっと感じてきました。ただ、昔はそれを言い表す言葉もなく、私自身も見逃していました。
1970年代、アルコール依存症治療に熱心な精神科病院に勤めていました。農村から都会へ出稼ぎに来て、日本の経済発展を支え、その後行き場を失い、寄せ場で昼間から酒を飲みどうしようもなくなった、といった患者さんが多く入院していました。当時、彼らは戦後日本の経済発展のひずみという文脈で語られたとしても、戦争と関連付けられることはありませんでした。振り返れば、彼らから旧満州(現中国東北部)での経験を繰り返し聞かされていました。戦場での恐怖の日々、酷寒の地で上官から酒を飲むことを強いられ、吐きながら飲んだ経験などです。
専門家は誰も、戦争体験とアルコール依存症のつながりを注目していなかったのですが、アルコール依存症の自助グループでは戦争体験も語られていたようです。「復員後は死ぬために飲んでいた」と語る人も多かったようです。「自分はなぜ生き残ってしまったのか」というサバイバーズ・ギルト(生存罪責感)だったのでしょう。
――当時は「戦争トラウマ」のような言葉も知られていませんでした。
その後さまざまな現場を経て、私は95年12月、原宿カウンセリングセンターを開設しました。その年の1月に阪神大震災が起き、日本でもトラウマ(心的外傷)やPTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉が一斉に広まり、後に被害者元年と言われました。
翌年、アルコール依存症の親の元で育った人を指すアダルトチルドレン(AC)という言葉が流行語になりました。災害被害と連動し、親からの被害を自覚する人が増えたのでしょう。日本で子ども虐待が表面化する契機となったのがACだったと思います。アメリカで生まれた言葉ですが、私は「現在の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人」と再定義しました。客観的に診断されるのではなく、自認する言葉として。つまりACかどうかは自分が決める、としたのです。女性だけのACのグループカウンセリングも開始しました。
参加者は40歳以上の女性がほとんどでしたが、彼女たちの多くは子ども時代、酔った父親から過酷な身体的虐待を受けていました…
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