「このままでは忘れられる」 訓練中の消防士転落死1年、両親の願い

Date: Category:速報 Views:3 Comment:0

救助係のオレンジの制服を誇りにしていた青木裕樹さんの思い出を語る父親の勝彦さん(写真左)と母由美さん=大津市内で、岸桂子撮影
救助係のオレンジの制服を誇りにしていた青木裕樹さんの思い出を語る父親の勝彦さん(写真左)と母由美さん=大津市内で、岸桂子撮影

 1年前の2024年8月1日、大津市御陵町にあった市中消防署(現在は同市皇子が丘3に移転)で救助訓練をしていた消防士の青木裕樹(ひろき)さん(当時31歳)が約4.7メートルの高さから転落して死亡した。事故は公務災害に認定され、市消防局はきょう8月1日に消防局員が黙とうをささげることにしているが、市民への周知広報はしていない。両親は「事故を風化させず、市民の安全を守ることを誓う日として広く共有してほしい」と願っている。【岸桂子】

 裕樹さんの父勝彦さん(64)、母由美さん(62)によると、裕樹さんは2016年入局。当初から救命の仕事を志望しており、21年に念願の救助係に。オレンジ色の制服を誇りにしていた。24年元日に発生した能登半島地震では第2陣救助隊として現地へ赴いた。由美さんは「泳ぎは苦手だったのに、琵琶湖のある地では必須だからと、水難救助の試験も頑張っていました」と振り返る。

 3人きょうだいの末っ子。働き始めてからは市内で1人暮らしをしていたが、親思いで、時間を見つけては実家に顔を出した。この夏、甲子園初出場を決めた綾羽高野球部出身。事故の5日前にあり、チームが進出した前年の県大会決勝には応援に行ったという。「今年(の優勝)を見ていたら大騒ぎしたでしょうね……」と由美さん。

仏壇の隣には、青木裕樹さんの写真のほか、裕樹さんの母校の甲子園初出場を告げる新聞号外も供えられていた=大津市内で、岸桂子撮影
仏壇の隣には、青木裕樹さんの写真のほか、裕樹さんの母校の甲子園初出場を告げる新聞号外も供えられていた=大津市内で、岸桂子撮影

 事故は、建物屋外に取り残された要救助者(人形)を裕樹さんがロープを使って救出する訓練の最中に発生した。青木さんが転落し、安全マットからはみ出る形で地面に打ち付けられた。

 市消防局は事故を検証する委員会を設置。市総務部が事務局となる「外部委員による意見聴取会」も設けられて、まとまった再発防止策などが勝彦さんと由美さんに伝えられてきた。

 2人はこうした報告を受け入れたうえで、「事故を風化させず、市民の安全を守るために行動してほしい」と要望していた。7月中旬に消防局から、8月1日を「安全誓いの日」として位置づけ事故現場前で消防局関係者らが集まり、追悼式を開くが、一般市民には知らせないと連絡があった。そのため、報道機関に裕樹さんの人生と親の思いを伝えることにした。

 「このままでは事故が世間から忘れられる。消防局の人だけが反省し悼むのではなく、『こういうことがあった』と思い出してもらい、市民一人一人が安全を守るための取り組みができているのか。みんなが足元を問う一日にしてほしい」。両親の切なる願いだ。

 消防局は「過去に殉職されたもう一人を含む追悼の日とし、安全文化醸成の取り組みなので、市民にアピールするものではないと考えている」と毎日新聞の取材に回答した。

Comments

I want to comment

◎Welcome to participate in the discussion, please express your views and exchange your opinions here.