東京マラソンの車いすレースディレクターであり、パラリンピック4度出場の副島正純選手(54)。世界最高峰のレースに位置づけられるボストン・マラソン、ベルリン・マラソンを複数回制した車いすマラソンの第一人者だ。
今、病とも闘う副島さんは静かに、力強く今後の展望を語る。
「来年、再来年にピークを目指し、メジャーマラソンに復帰して上位を狙う。2028年ロサンゼルス・パラリンピックを目標にする」
決して大きなことを口にする人間ではない。パラリンピック出場は16年リオデジャネイロ大会を最後に遠ざかるが、実現可能な目標と踏んでいる。
結果に誠実な選手でもある。
フィニッシュテープを切る瞬間でさえ、ガッツポーズはほとんどしない。理由を尋ねると「テープを切るときには、すでに勝負が決まっとるんよ。だからただの通過点なんよね」と返された。
思い返すのは、僅差で負けた後の光景だ。
レース後、体全体をタオルで覆い、誰とも言葉を交わさずじっとしている。泣いているのではない。敗北をかみ締め、次戦のイメージを組み立てる時間なのだ。
レンズを通すと、その沈黙は雄弁で、熱を帯びた「エネルギー」に包まれているように見える。
私も影響を受けた。以前はガッツポーズや表彰式での選手の笑顔の写真は必ず撮影していたが、今は被写体の本質に迫る瞬間にしかレンズを向けなくなった。
副島選手は昨年4月、悪性の脳腫瘍、左前頭葉神経膠腫(こうしゅ)が見つかり、腫瘍の9割を切除した。10時間を超える大手術だった。現在も地元・長崎から月に1度、東京の病院へ通い、体調を見ながらトレーニングを続けている。
今年5月、副島選手は仲間の支援を受けて「SOEJIMA STRONG」というプロジェクトを立ち上げた。
Tシャツや帽子の販売、講演活動を通じて生き方を伝え、その収益を闘病費用に充てている。SNS(交流サイト)では葛藤と前進を繰り返す日々の姿を発信し続けている。人々からは「力をもらった」という多くの声が届く。
8月上旬、私は長崎を訪ねた。雲仙岳の地熱から噴き出す白い蒸気を背に、副島選手を撮影した。
手術と闘病の影響だろう、筋肉は落ちている。だが、その姿は揺るぎなく力強かった。悲壮感はなく、ただふつふつと湧き立つ闘志だけがそこにあった。
走り続ける副島選手を見ていると、人生はマラソンのようだと思う。思うように走れない日もある。それでも人は前へ進む。
副島選手が最近、口にする言葉が耳に残る。
「走ることは、生きることの証し」(写真家)
Comments