満蒙開拓団の歴史を語り継ぎたい 中国残留日本人4世の決意

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「自分のルーツに向き合うことは、中国に対する自分の見方やアイデンティティーを形作る一助となる」と話す北原さん=東京都千代田区の明治大駿河台キャンパスで、日本大学・田野皓大撮影 拡大
「自分のルーツに向き合うことは、中国に対する自分の見方やアイデンティティーを形作る一助となる」と話す北原さん=東京都千代田区の明治大駿河台キャンパスで、日本大学・田野皓大撮影

 満蒙開拓団の一員として中国・黒竜江省に渡った曽祖母を持つ中国残留日本人4世がいる。明治大学4年の北原康輝さん(23)だ。北原さんはこれまでの人生を通して自身の出生と向き合うと同時に、学生団体「日中学生会議」での活動をはじめ、さまざまなフィールドで満蒙開拓団の記憶継承に奔走してきた。現在は中国残留日本人の日本社会での共生をテーマに卒業論文の執筆に取り組んでいる。そんな北原さんの思いを取材した。【上智大・平野恵理(キャンパる編集部)】

曽祖母が開拓団に参加

 日中戦争の当時、日本が農業移民として旧満州(現中国東北部)に送り込んだ満蒙開拓団には、全国から27万人が参加。中でも最も多かったのが3万3000人以上を送り込んだ長野県だった。

 北原さんの曽祖母・さきさんも、長野県の開拓団の一員として黒竜江省に渡った。1945年8月、旧満州の権益保護のために駐留していた関東軍(日本軍)が撤退し、多くの開拓団員が現地に取り残された。さきさんもその一人だった。ソ連軍が攻め入ったことを聞き、自決しようとしたその時、現地の中国人男性に助けられた。そのままその男性と結婚(再婚)し、その後は同省で暮らした。

 終戦後、数千人の人々が中国残留日本人として、中国で生き延びたとされている。後にさきさんの子どもや孫は全員、日本に移り住むことになる。さきさんの孫に当たる北原さんの父は、22歳で初来日した。同省出身の北原さんの母と結婚後、そのまま長野市に移り住んだ。

自分は何人なのか

 北原さんは2001年に長野市で生まれた。両親や祖父母とは中国語で会話し、地元・長野の小学校に通ううちに、中国語を話す自分の特殊性に気づいたという。授業参観の時、教室で中国語を話す両親を不思議そうに見るクラスメートのまなざし。街で買い物に出かけ、両親と中国語で会話をするときに周囲から向けられる冷たい視線――。

 次第に同級生からは「中国人は自分の国に帰れ」「お前みたいな中国人は学校に来るな!」とののしられるようになった。自分に中国のルーツがあることが嫌で、恥ずかしさでいっぱいになった。外出先では両親に中国語でしゃべるのをやめてくれるよう頼み、中国と関係があることを必死に隠すこともあった。

 北原さんは、小学校高学年時に1年間、母方の実家である黒竜江省で生活したこともある。自分が日本人であることを現地の同級生が知ると、日本人に対する差別用語で「お前は日本鬼子だ」と言われた。日本にいても、中国に行っても差別を受け、心無い言葉で攻撃される。「もう今では慣れてしまった」と語る北原さんだが、「自分は一体、何人なのか」とアイデンティティーを自問する意識は、今でも頭から離れない。

2023年1月に日中学生会議が早稲田大学で主催した講演会の様子。北原さんの企画案のもと、中学校時代の恩師・飯島先生を招いた=北原さん提供 拡大
2023年1月に日中学生会議が早稲田大学で主催した講演会の様子。北原さんの企画案のもと、中学校時代の恩師・飯島先生を招いた=北原さん提供

無知と憎悪が阻む共生

 こうした差別を経験した残留日本人の子孫は、北原さんだけではない。現在、長野県には子孫の2〜5世は1万人以上、全国では10万人以上いるとされる。北原さんは、同じ学校に通う他の残留日本人の子孫が中国にルーツがあることで嫌がらせを受け、萎縮する様子を幾度となく目にしてきた。

 教育現場での差別を助長した原因の一つは、当時の日中の国民感情の悪さが関係していると北原さんは推測する。彼が小学生だった2012年、当時の日中の外交関係は「国交正常化以来最悪」と大々的にメディアで報道された。日本政府が尖閣諸島を国有化し、中国国内で大規模な反日デモが発生するなど、日中両国でお互いに対する国民感情が急激に悪化した時期だった。

 歴史への無知も、残留日本人の子孫との共生を阻む要因となっている。北原さん自身も、中学校に進学するまで自分が残留日本人4世であることを知らなかった。小学生の頃は、差別を受けるたびに「なぜ自分の家族だけ中国人の血が入っているのか、当時はずっと疑問だった」と振り返る。

「自分のルーツに誇りを」

 北原さんは中学校に進学し、そこで初めて自分と中国とのつながりを知った。全国最多の開拓団員を送り出した長野県は、満州移民に焦点を当てた平和学習を行っている。なぜ学級に中国に由来する同級生がいるのか。その同級生や家族はどんな歴史を背負って生きているのか。生徒が満蒙開拓団の存在を自分とは関係ない歴史の一部として捉えるのではなく、歴史の当事者が同じ教室に、クラスメートとして存在している特色を生かしたカリキュラムだったという。

 北原さんは、この平和学習を通して、満蒙開拓団について学ぶと同時に、自分の家族が生きた軌跡をたどった。2~3世にあたる祖父母や父から直接話を聞き、彼らが文化や言語の壁にぶつかりながら、必死に日本社会で生きてきたことを教えてもらった。

 当時、授業を受け持った社会科の飯島春光先生(72)は「自分のルーツに誇りを持って、堂々と生きていい」と北原さんを激励してくれたという。中学校での経験は北原さんが小学校で感じた中国にルーツを持つことへの恥ずかしさや後ろめたさを吹き飛ばすようなものだった。

 平和学習で満蒙開拓団の歴史を「自分ごと」として捉える機会が生まれたことで、同級生の北原さんに対する意識や対応も変わっていった。差別的な発言はなくなり、北原さんは「自分が当事者として情報発信をすることが、自分のコミュニティーでの歴史理解を促進し、共生実現の第一歩になると痛感した」と話した。

留学先の復旦大学の社会学系講義で中国残留孤児について説明する北原さん。日本では満蒙開拓団に関する報道は珍しくないが、中国では知る機会が少ないと感じたという=北原さん提供 拡大
留学先の復旦大学の社会学系講義で中国残留孤児について説明する北原さん。日本では満蒙開拓団に関する報道は珍しくないが、中国では知る機会が少ないと感じたという=北原さん提供

歴史の伝承者になろうと決意

 日中両国で差別を受けた残留日本人やその家族は、子どもたちに家族のルーツや苦難を伝えようとしないケースが多い。しかし、北原さんは次のように語った。「仮にある残留日本人の子どもが自分のルーツや歴史を知らずに育ったとする。それが、世代を超えて何度も繰り返されれば、やがてその家族の歴史は忘れ去られてしまう。それはとても悲しいことだと思う」

 北原さんには、自身の曽祖母が自害しようとしていたところを中国人に救われたという家族の歴史がある。「曽祖母が中国人の曽祖父に助けられたからこそ、今の自分がいる。それは恥ずかしい歴史でも、後ろめたいことでもない。誰しも自分のルーツを大切に、誇っていいと飯島先生に教えてもらった。次は自分がそれを他の当事者に伝える番になりたい」。北原さんは、自ら満蒙開拓団の歴史伝承に取り組むことを決意した。

 大学進学後の23年1月、北原さんは第42回日中学生会議の運営に携わり、講演会を早稲田大学で開催した。飯島先生をスピーカーに招き、「中国残留日本人の歴史、教育現場での多文化共生」をテーマに講演を行った。

日中双方の視点を大事にしたい

 語り手として意識したいことは、当事者の思いを忘れずに届けること、そして、ストーリーに日中の双方の視点を織り交ぜて伝えることだという。こうした意識を持つようになったのは、24年9月から25年6月にかけて、中国・上海にある復旦大学へ留学したことが影響している。

今年2月下旬、満蒙開拓団に関する聞き取り調査で訪れた黒竜江省で、いとこ2人と写真におさまる北原さん(左)=北原さん提供 拡大
今年2月下旬、満蒙開拓団に関する聞き取り調査で訪れた黒竜江省で、いとこ2人と写真におさまる北原さん(左)=北原さん提供

 現存の満蒙開拓団に関する資料の多くは、日本に帰国した残留者の経験談をまとめたものだという特徴がある。その一方、中国側の視点から満蒙開拓団はどう見えていたのかに関する情報は少ない。

 そこで、留学中に黒竜江省・東寧に赴き、現地で暮らす母方の祖父母に、旧満州での満蒙開拓団に対する印象について聞き取り調査を行った。調査を振り返って、「開拓団は日本では被害者としてしかみられない。だが、中国では一概に被害者ではないし、加害者でもあることを知ることができた」と話す。例えば祖父は満蒙開拓団について、「国策の犠牲者としても捉えられるが、中国にとっては加害者だ。中国人の土地を奪い、労働を強要した」と語ったという。

 日中戦争を巡る歴史認識は、日中関係のしこりとして残る課題の一つである。それでも、満蒙開拓団で旧満州に派遣された人々は現地で何をしたのか。それは、現地の人からはどう捉えられていたのか。北原さんは日本と中国では、戦争や平和に対する考え方に違いがあることを理解しつつ、こう語った。「今回の聞き取り調査の対象者は歴史を生きた人だ。日本と中国の両方の視点から、人々は当時の様子をどう思っていたのか知り、これを忘れることなく、次の世代に向けて語れる人になりたい」

 北原さんは来春、民間企業に就職予定だが、満蒙開拓団の歴史の語り部としての活動にも挑戦したいという。北原さん自身が残留日本人4世として差別を受けたことやアイデンティティーの葛藤を経験したことを踏まえて、「他の残留日本人の子孫の方々が胸を張って生きられるような社会を実現できるように、情報発信活動に力を入れていきたい」と意気込んだ。

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