岩手県雫石町上空で1971年に全日空機と自衛隊機が衝突して162人が死亡した事故から30日で54年を迎えた。墜落現場にある追悼施設「森のしずく公園」(同町西安庭)では慰霊碑の前に遺族らが集まり、空の安全を強く祈念した。【山田英之】
事故は71年7月30日に発生。全日空機の乗客と乗員162人全員が犠牲になった。乗客の大半は観光ツアーに参加した静岡県富士市の住民だった。
この日は遺族や富士市、全日空、航空自衛隊松島基地の関係者ら約120人が午前10時に慰霊碑前で亡くなった人たちに黙とうした。その後、慰霊碑に献花し、手を合わせた。
慰霊碑は事故から1年後の72年に建立された。亡くなった人たちの名前が刻まれ、「再びこの過ちと悲しみを繰り返すことなきを願う」と書かれている。
猿子恵久・雫石町長は「162人のみたまに報いるため、事故を風化させず、空の安全を肝に銘じて頑張りたい」とあいさつした。事故をきっかけに始まった雫石町と富士市の中学生が相互訪問する交流事業は今も続いている。
旅行代理店で添乗員をしていた弟(当時25歳)を亡くした小山和夫さん(82)=富士市=は「仲の良い弟だった。弟の分まで生きてやろうと決心して過ごしてきた」と語った。
事故から50年が過ぎた頃から心境に変化があり、「この場所には弟に会う気持ちで来ている。悲しみよりも、懐かしい思いで訪れている」と言う。事故の記憶の風化については「肉親を亡くした家族にとって、忘れられてしまうことは残念だ。富士市の大勢の人が亡くなった。航空機事故は怖いことだということを忘れないで、語り継いでもらいたい」と願った。
Comments